(CNN) 世界で最も有名な金髪の美女が、遊具の上に腰かけ、本を読みふけっている。スタジオ用のメイクも照明もなく、靴も履いていない。時は1955年、あらわになった彼女の手足からは、夏の日差しのような輝きが放たれている。
写真は遊び心に満ちている。彼女は子どもの遊び場で、色鮮やかなロンパースを身にまとっている。同時にどこか真剣でもある。腕に抱えられた分厚い本は、難解なことで悪名高いジェームズ・ジョイスの小説「ユリシーズ」だ。彼女はそれを、もうすぐ読み終えようとしている。
この女性とはもちろん、当時29歳のマリリン・モンローである。米国のフォトジャーナリスト、イブ・アーノルド氏がニューヨーク州ロングアイランドでその姿を捉えた。アーノルド氏のレンズを通して見るハリウッドのアイコンは、静かで、思索的で、自然体だ。モンローがカメラを意識していたのかどうかは、見る者の解釈に委ねられている。

同作を手掛けたイブ・アーノルド氏は、モンローを撮影した数少ない女性写真家の一人だ/Eve Arnold Estate/Courtesy National Portrait Gallery
この写真は、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーで開催中の新しい展覧会に展示されている。展示では、モンローが自身のイメージ作りにいかに主体性を持っていたかを探っていく。展覧会では、生きていれば今月100歳を迎えるはずだったモンローの、ノーマ・ジーンと呼ばれていた時代の初期のピンナップ写真から、62年に36歳で亡くなる数週間前にサンタモニカのビーチで撮影された最後の写真まで、数十点のポートレートが並ぶ。
アーノルド氏の写真は、あまり知られていないモンローの一面を捉えている。彼女は熱心な読書家であり、詩、戯曲、哲学、「ユリシーズ」のような重厚な文学作品に至るまで、400冊を超える蔵書を持っていた。ユリシーズの本は撮影用の小道具ではなかったと、アーノルド氏の孫、マイケル・アーノルド氏は電話取材で語った。「イブがカメラの準備をしていたところ、モンローがその本を取り出して読み始め、準備が整うのを待っていた」と振り返る。
よく見ると、モンローが開いているのは物語の最終盤のページだ。そこでは小説の主人公の妻モリー・ブルームが、女性のセクシュアリティーを探っている。著名なフェミニスト美術史家グリゼルダ・ポロック氏は、2016年に学術誌「ジャーナル・オブ・ビジュアル・カルチャー」に掲載されたエッセイの中で、この写真について以下のように書いている。「『ユリシーズ』の結末を読んでいる姿を見せるという選択によって、モンローは明らかに、意図的に何かを示そうとしていた」。それは、「内面の世界や性的な生を持ち、最後に語ることを許された、教育を受けていない一人の女性の言葉に対し、おそらく幾重もの次元で自分を重ね合わせていたのだ」
モンローのイメージ作り
モンローは、映画スタジオや監督によって大半が決められてしまう動画に比べ、静止画に対しては常に強い主体性を持っていた。「写真に関しては、彼女は自分がより主導権を握っていると感じていたのだと思う」と、ナショナル・ポートレート・ギャラリーのモンロー展でアシスタントキュレーターを務めるジョージア・アティエンザ氏は語る。同氏は、モンローが自分の写真に対する拒否権を持っていたことや、コンタクトシートをめくりながら、世に出したくない写真をヘアピンで引っかいていたエピソードを挙げた。「彼女には、自分のイメージをコントロールし、本当に満足している写真だけを世に出すという非常に強い意志があった」という。
モンローにとってアーノルド氏は、自分がセックスシンボルから本格派のアーティストへと変わっていく姿を目に見える形にしてくれる写真家だった。ロングアイランドで撮られたあの写真は、モンローがハリウッドを離れ、自身の映画会社を設立した数カ月後に撮影されたものだ。だが、彼女がアーノルド氏の存在を初めて知ったのは、それより数年前のことだった。
1952年、アーノルド氏は女優で歌手のマレーネ・ディートリヒをレコーディングスタジオで撮影していた。それはセットもポーズも三脚も用いず、彼女ならではの自然なスタイルだった。「私はただ、ありのままの彼女を撮ったのです」とアーノルド氏は87年のBBCドキュメンタリーで回想している。そのディートリヒの写真がモンローの目に留まった。モンローはあるパーティーでアーノルド氏を見かけ、こう尋ねたという。「マレーネをあんなに素敵に撮れるなら、私を撮ったらどうなるか想像できる?」

1960年、映画「荒馬と女」撮影時のモンローとアーノルド氏/Eve Arnold Estate
二人はその後10年にわたり、数々の写真撮影で仕事を共にした。60年の映画「荒馬と女」の撮影現場もその一つだ。当時のモンローは、脚本家アーサー・ミラー氏との結婚生活が危機にあり、感情的に苦しい時期にあったが、アーノルド氏の存在に安らぎを見いだしていた。
アーノルド氏自身は自らを硬派なフォトジャーナリストと考えていたため、当初ハリウッドスターと仕事をすることに消極的だったと孫のマイケル氏は語る。「それでも、彼女にはどこか磁力のようなものがあって、祖母は何度も引き寄せられていったのだと思う」。二人は互いにキャリアの比較的初期にあったことでも絆を深めていった。「祖母は常に批判することなく、相手に全神経を注ぐ人だった。だから人々は自然と彼女の前で安心感を覚えたのだと思う。モンローは彼女を少し母親のような存在として見ており、一緒にいると、とても大切にされ、安全だと感じていたようだ」
女性のまなざし
モンローを撮影した女性写真家は少なかった。アーノルド氏の自然体で気取らないスタイルは、男性写真家たちとの、より誘惑的なやり取りとは、鮮やかな対比をなしている。アーノルド氏は可能な限りスタジオの外で撮影し、被写体の何気ない日常生活を切り取った。当時のセレブリティー写真としては革命的な手法だった。「祖母は、女性であるとはどういうことかだけでなく、人間のありのままの姿も示そうとしていた」とマイケル氏は言う。アーノルド氏は著名な写真家集団「マグナム・フォト」に在籍した最初の女性写真家であり、60年に及ぶキャリアの中で、ハーレムの黒人ファッションショーのモデルから、首都ワシントンで演説するマルコムXまで、さまざまな人物を撮影してきた。
モンローの死後、アーノルド氏は、彼女のイメージをメディアによる搾取から守るため、モンローの写真の大半を公開禁止にした。アーノルド氏がそれらを写真集で発表したのは、87年になってからだった。そこには、モンローが読書する姿を捉えた写真も収められていた。
「モンローについて決定版と言える物語を見つけるのは非常に難しい」とアティエンザ氏は語る。おそらく、これこそが彼女の尽きない魅力の一端なのだろう。ペルソナの背後にいる人物像を探し求めること。「ユリシーズ」を読むモンローの写真では、それを見る者が行間を読み解くよう促されている。
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原文タイトル:Marilyn Monroe through the female gaze(抄訳)

2 時間前
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