6月14日に最終回を迎えた堤真一主演の日曜劇場『GIFT』(TBS系)。
直前の第9話で描かれた衝撃的な展開が物議を醸していたが、最終回となる第10話放送後、SNSでは「ラスト2話がありえない」「要素を詰め込みすぎて、いろいろなことが中途半端なまま」「最終話が白々しく感じる」など、さらに厳しい意見も続出してしまった。
筆者個人としては、『GIFT』は全体的に見れば決して悪いドラマだとは思わない。個性的なキャラクターそれぞれに愛着がわくし、豪華な俳優陣はみんなハマり役であるし、車いすラグビーという広く知られていない題材にスポットライトを与えた意義も大きく、試合シーンにも迫力がある。
第9話以降に否定的な感想を持つ視聴者も、それまで楽しんでいたからこそ、期待との落差が大きかった、ということも理由にあるのではないか。
そのことを踏まえても、最終2話の内容は成功しているとはとても思えない。多くの人が望んでいない展開であることはもとより、せっかくのメッセージも居心地の悪い、なんなら欺瞞(ぎまん)にさえ思えてしまった。それは非常にもったいないことではないか。
※以下、『GIFT』最終第10話の内容に触れています。
人香が「記者」として行動したことは、とても良かった
第9話のラストでは車いすラグビーチーム・ブレイズブルズの元エースである宮下涼(山田裕貴)の死亡が知らされ、第10話で「実は涼が生きていた」というどんでん返しが用意されることはなかった。
涼の死と、そのことがすでにSNSで炎上していることを受けて、日本車いすラグビー協会の理事長・柳原俊二(櫻井翔)を含む緊急会議で、決勝戦を行わないことと、強豪チームのシャークヘッドの不戦勝での優勝が提案される。
それでもブレイズブルズのコーチであり宇宙物理学者の伍鉄文人(堤)は「彼と共に戦った大事な仲間から、戦うことを奪わないでください」などと必死の訴えをする。
だが、伍鉄が過去にポストドクターの宗像桜(宮﨑優)を「公開処刑」したことも含めて糾弾する記事がアップされてしまい、不戦勝が唯一の選択肢になるかと思われた。
ただ、シャークヘッドのコーチである国見明保(安田顕)は、「(伍鉄の)指導者としての責任は極めて重大」としながらも、「彼らは決勝までの道を勝ち取りました。その機会を今さら奪うことはできません」などと、「フェアではない」「彼らの意志を守ること」を重視した提案をする。
これを受けて、柳原は伍鉄がコーチを辞めることを条件に決勝戦を行うことを決定した。エース候補の朝谷圭二郎(本田響矢)は、その条件を飲んだ伍鉄に「涼はあんたと答えを出したがってただろうがよ!」「あんたがいねぇと意味ねぇだろうがよ!」と訴え、ほかのメンバーも途方に暮れていた。
しかし、試合が始まろうとしていたそのタイミングで、記者の霧山人香(有村架純)が書いた「最後まで生き抜いたブレイズブルズのエース。母が願った“世間に知ってほしいこと”」という記事がネット記事としてアップされる。
人香は涼の家を訪れ、壁一面に飾られた優勝フラッグや写真を見て、そしてメンバーそれぞれのことを記したノートを読み、両親の「涼が自分の意志で試合に出たこと」はもとより「最後まで寄り添ってくれたブルズの皆さんと伍鉄さんへの感謝をしていること」を伝えたいという願いもあって、その想いを記事にしたのだ。
間違いなく言えるのは、最後に人香の記者としての活躍を描いたことは、とても良かった。彼女はこれまで、自身の父が圭二郎に障がいを負わせたという罪悪感を背負ったり、涼と圭二郎との恋の三角関係となったり、マネージャーとしてブレイズブルズをサポートしたりと、記者とはほぼ関係のない展開が多かった。
だからこそ、人香の本来の「仕事」かつ、「これまで」を集約した行動が、メンバーを奮い立たせたことは感動的だった。本来、伍鉄の告発記事は宗像が決勝戦を見た後に掲載の判断をするはずだったのだが、彼女を取材した萩森真一(岩男海史)が「鮮度が大事」という理由で掲載を強行したことの対比にもなっていた。
「涼がいない」残酷性を際立たせてしまった
しかし個人的には、「実際にはこの場に涼がいないのに、いるように見せる」演出と話運びを、素直に受け取ることはできなかった。
例えば、圭二郎は試合前に「あいつはコートで待ってんだよ! 一緒に戦いたいやつだけ来い」と啖呵を切る。伍鉄は、圭二郎やチーム最年少の坂東拓也(越山敬達)に涼の姿を重ねて、「一緒にいてくれるだけでいいんだよ!」などと叫ぶ。試合終了後に、誰も座っていないはずのラグ車に涼の姿が映るが、そのすぐ後にいなくなる。
また、涼から「1人で行くな、1人で進むな」と教えられた圭二郎と拓也、さらに「みんなで、あなたと一緒に答えを出すんですよね、コーチ」と伝えられた伍鉄は、そのことを試合中に回想していた。しかし、実のところ涼は自身の判断の結果として1人で「逝って」しまい、その「みんな」の1人であるはずの涼は、実際にはこの場にいないのだ。
もちろん、涼のプレイやその意志は、彼が亡くなったとしてもブレイズブルズに残り続ける、という物語上の狙いはよくわかる。しかし、それぞれが「涼を死なせた」という展開の理不尽さや残酷性をより際立たせているのも事実で、結果的に「涼はやっぱり死ななくても良かったのでは」「無理やり感動させようとしている」という居心地の悪さのほうを、より強く視聴者に感じさせてしまったのではないか。
宇宙物理学✖️車いすラグビー、戦略のロジックは…
ほかにも不満は大いに残る。作曲家のマネージャーである坂本昊(玉森裕太)は、ついに完成した楽曲を携え、自らレッスンを行ってきた高校生の吹奏楽部を指揮し、ブレイズブルズに応援を届けることができた。しかし、その吹奏楽の伏線があまりに少なかった。「予定が昨日だったから人数が減っちゃった」のに、問題なく良い演奏ができるという点も説得力に欠けている。
一方、大会本部に伍鉄がコーチを辞めることを取り下げる嘆願書が届き、コートに入ることが許される展開と、そこで柳原から「このスポーツの未来を願う人たちの意志を無為にすることはできません」とはっきりと伝えられるのは良かったと思う。
だが、その嘆願書の発起人である国見が第3話で、「国に認められない」車いすラグビーの現状を振り返ったことを思えば、そのフォローが足りていないと思わざるを得ない。
また、昊の母でアーティストの坂本広江(山口智子)は、昊がお腹の中にいた頃にも伍鉄から「地球から生まれた月なのに、地球の闇を照らしてくれるってすごい」と聞いていたと話していて、そのことを示した作品を完成させ、「宇宙は偶然という名の奇跡に溢れている」と言っていた。
確かに、広江と昊と伍鉄の親子関係も含めて、出会いやお互いへの想いが奇跡である、というメッセージは伝わるのだが、それもまた涼の死という悲劇を相対的に残酷に見せてしまっているように思える。
さらに、「宇宙物理学の考えを車いすラグビーの戦略に落とし込む」というユニークな発想も活かしきれているとは言い難い。決勝戦で「連星」という言葉を用いての最低限の戦略は語られてはいるものの、それがいかに革新的だったか、強豪であるシャークヘッドとの差がどう埋まったのかといった具体的なロジックは曖昧なままで、決勝戦のカタルシスは確実に弱くなっている。
本作が描きたかったのは「誰かの言葉や行動が、別の誰かを変えていく」ということではあるのだろう。しかし、やはり“涼の死”という重すぎる展開は、「障がいがあっても激しい戦いをする車いすラグビー」という題材において、これまで積み上げてきた数々のドラマとも噛み合っていないように思えた。
何より、「その誰かの言葉や行動が涼の死も招いた」のではないかと多くの視聴者に考えさせてしまい、この後味の悪さにつながっているのではないか。
最後のセリフが皮肉な結果に
また、第5話の最後には、人香のモノローグで「あの人がいなくなることを、私たちはまだ知らない」と語られ、映像には伍鉄が映っていた。
当然、この時は多くの視聴者が「伍鉄がいなくなる」と思っていたが、それはミスリーディングであり、「あの人とは涼だった」というのが伏線回収だ。しかし、これはフェアな提示の仕方と言えるだろうか……。
しかも、決勝戦で負けてしまい、「ブレイズブルズはもっと強くなる」というセリフで「これから」を想像させるのはまだしも、(最後の振り返りを除く)ドラマ全体の最後のセリフが、伍鉄の「(チームに)問題がないのはいささか面白くないですねぇ」というのも後味が良くない。
準主人公の死というショッキングな展開を用意する、その大きすぎる“問題”により、面白さはもとより「納得できない」ことになったのは、皮肉な結果だった。

4 時間前
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