1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」が広島に原子爆弾を投下した。
あれから81年。あの日、何があったのか。当時の貴重な写真と共に振り返る。

AFP=時事
南太平洋・マリアナ諸島のテニアン島を飛び立ったB29爆撃機「エノラ・ゲイ」。原子爆弾「リトル・ボーイ」を搭載していた。アメリカ軍第509混成部隊の隊長、ポール・ティベッツ陸軍大佐が機長を務めた。
「いま我々が落とそうとしている爆弾は、これまでの爆弾とは違うものだということをよく覚えておいてほしい」。投下当日の訓示は機密保持のため、「原子」や「核」という言葉は一度も使われなかった。

PAUL J.RICHARDS via AFP
人類史初の原子爆弾投下は8月6日午前8時15分。その直後に起きたことを、広島市はこう伝えている。
<原子爆弾は、投下から43秒後、地上600メートルの上空で目もくらむ閃光を放って炸裂し、小型の太陽ともいえる灼熱の火球を作りました。火球の中心温度は摂氏100万度を超え、1秒後には半径200メートルを超える大きさとなり、爆心地周辺の地表面の温度は3000~4000度にも達しました。
爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これら3つが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。
原爆による被害の特質は、大量破壊、大量殺りくが瞬時に、かつ無差別に引き起こされたこと、放射線による障害がその後も長期間にわたり人々を苦しめたことにあります>

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広島への原爆投下による死者の数は現在でも正確には分かっていない。広島市によると、当時市内には居住者や軍人ら約35万人がいたとされ、1945年末までに約14万人が死亡したと推計される。爆心地から1.2キロ範囲内では、投下当日のうちにほぼ半分が死亡した。

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![航空機から撮影された被爆後の広島市街地。原爆投下に使われた爆撃機「エノラ・ゲイ」乗組員3人のサイン(上)や爆心地(中央右の赤い印)が書き込まれている=1946年1月[米国立空軍博物館調査課提供]](https://img.huffingtonpost.com/asset/66b183672300001e00ff8ded.png?ops=scalefit_720_noupscale)
米国立空軍博物館調査課提供/時事通信社

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2024年のノーベル平和賞は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、被爆者の立場から核兵器廃絶を訴えてきた日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)が受賞した。
広島、長崎の被爆者らの核廃絶に向けた草の根運動、また、核兵器を再び使用されないために証言活動を続けてきたことが評価された。

ODD ANDERSEN via Getty Images
12月の授賞式では、日本被団協の代表委員で、13歳の時に長崎で被爆した田中熙巳(てるみ)さんが、今も地球上には1万2000発の核弾頭が存在していることや、ロシアのウクライナ軍事侵攻、パレスチナ自治区ガザ地区に対するイスラエルの攻撃などについて言及し、「市民の犠牲に加えて『核のタブー』が壊されようとしていることに限りない悔しさと憤りを覚えます」と訴えた。

2 ヶ月前
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